見えない、聞こえない、話せない。三重苦のヘレン・ケラーを調べた。

 視覚と聴覚の重複障害者(盲ろう者)でありながらも世界各地を歴訪し、障害者の教育・福祉の発展に尽くした。とWikipediaにて知る。

 アン・サリヴァン氏の教育、指導の結果でもある。
 このサリヴァン先生の環境での学びが後世(ヘレンケラー)に活かされたことが良くわかりました。
--以下、引用--
1880年10月 – 14歳のときに、マサチューセッツ州ウォータータウンにあるパーキンス盲学校に入り訓練と数度の手術の結果、ある程度視力を回復し(だが、光に弱く、常にサングラスをかけていたという。)、1886年には、アンは卒業生総代としてスピーチを行った。また、在学中には視覚、聴覚障害を克服したローラ・ブリッジマンと出会い、友達になっている。この出会いと自身の盲目の経験が、後のヘレン・ケラーの教育に生かされた事は想像に難くない。聴覚障害児の教育を研究していたアレクサンダー・グレアム・ベル(電話の発明者として知られる)が、パーキンス盲学校を紹介し、アンがケラー家の家庭教師をすることになった。
1887年3月3日 – ヘレン・ケラーの家庭教師として教えはじめた。その後パーキン協会、ケンブリッジの女子学生対象の大学への進学を援助し、1900年、遂にヘレンはラドクリフ大学(ハーバード大学の女子学部)へ入学することができた。
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それと3月3日は長女の誕生日だってのが、嬉しいですね。