寺子屋について私なりに解釈を試みて説明をしてみる。平成の寺子屋の必要性を感じています。

--Wikipediaからの説明文引用--
寺子屋(てらこや)とは江戸時代、庶民の子弟に読み書き、計算や実務上の知識・技能を教育した民間教育施設である。手習所や手習塾ともいう。「寺子屋」の名称は主に上方(京都・大坂・伊勢など)で用いられ、江戸では「手習指南所」「手跡指南」などと呼ばれた。寺子屋の「子屋」が「こや(小屋)」に通じる点や、「屋」が屋号に通じる事が教育の場の名称に適切ではないと考えられたからである。なお、現代では、「寺小屋」と表記することもある。
--ここまで--

民間の教育施設と言うところが気に入っています。
今の日本の教育の限界は、一律の高度成長を支える歯車としての技術者を育てる教育だと私は思っています。
一人の人間がまんべんなくある程度の品質の技術を持つようにするのが今の教育だったのだと思っています。

それに対して、これから必要な教育は、情報はインターネットを使えば簡単に見つかるし、嘘をついてもその裏を取るのが案外簡単にできる。つまり、自分だけが持っている得意な技術や能力を極める必要があると思っており、江戸時代の寺子屋の制度が一番必要なのが今からの時代だと思っています。

既存の学校教育から外れることがダメであるレッテルを貼るのはもうやめませんか?

政治と経済を考える寺子舎の集まりの2回目開催