私自身がAC(アダルトチルドレン)。

 本コンテンツは、ココナラにて相談を受けるときの私のプロフィール情報として書いたものです。「アダルトチルドレンの心の悩み・葛藤・生き辛さ 相談に乗ります」がそれです。

 社会に出てから生きずらさに気づきました。
 学生時代(高校生まで)はそれほど気づいていませんでした。

 父は、アルコール依存。母は、宗教依存の中で育ちました。
 両者(父も母も)必然としてそうなる運命だったのだと今は考えられるようになりました。受け入れることができるようになりました。

 父は大阪の裕福な家に生まれ、上は女性3人。初めての長男として生まれ、下には2人。とても可愛がられたようです。ただ、残念なことに生きていくための力を持てなかったようです。働くことができないと言うか仕事が長続きしないと言うか、社会生活を営む経験値が足りなかったようです。
 母もお嬢さんで育ったようです。

 この父と母がお見合いで結婚をしました。私が生まれる1ヶ月前に入籍をしています。今で言うできちゃった結婚です。こんな夫婦で、父は働かずに酒におぼれる毎日。父が酒を買って来いと言えば、酒を飲ませて寝かせたほうが楽と考える母(これは共依存と言う)でした。

 私が小学校のころ、父がいないと電話がかかってきます。警察か病院か酒屋でした。警察の場合は、貴方のお父さんが喧嘩をしてしたので保護している。病院からは怪我(喧嘩か転んだか)をして治療が終わったから迎えに来てください。酒屋は酒を飲んで寝ているから迎えに来て欲しい。それは本当に怖くて恥ずかしくて嫌なことでした。
 本当に心が休まるのは、学校にいる間。そして、母が役所とか病院に根回しをして、やっとやっとアルコール依存者を預かってくれる病院に入れている期間だけでした。その病院は絶対に出ることができない隔離された病棟でした。父が入院しているときには数ヶ月に一回お見舞いと言うか会いに言ったのを覚えてはいます。

 母は、いつも何を考えていたかわかりませんが、宗教に依存をしました。また、父親が働くことを支援することより、いつも父を病院に入れさせることばかり考えていたような記憶だけ残っています。

 そして、私がアダルトチルドレンになるべくしてなりました。

 アダルトチルドレンと言うのは、子どもになれなかった子ども。早くから大人としての役割を社会から要求されることで子どもを経験しなかった。それが私のアダルトチルドレンの定義です。ちなみに Wikipediaアダルトチルドレンもご覧ください。

 そして、アルコール依存を支えるのが共依存。お互いがお互いを欲する状態になる。私は専門家ではないのですが、自らの体験に基づいて伝えることができるし、してもよいと思っています。
 共依存の辿り着く先の1つは、相手を殺して自分も死ぬ。なんです。このギリギリのところにも私は追い詰められていたのが20代でした。理由は簡単で、父は酒を飲む。世話をするのは私しかいない。この父が生きている限り一生結婚もできないだろうし、人生の夢も持てないと考えながらも逃げていました。今思うと逃げていたから今、私は生きているとも言えます。
 で、27歳のある日、父は亡くなりました。その日は、小雨が降っていて、家の目の前にある小川(と言うほど綺麗ではないが)で、30cmぐらいの水かさが増えていて、おぼれたと言うか息も絶え絶えの状態で助けられた。私はその時、家におらず電話で知らせを受けた。

 家に帰ったのか帰らなかったのか覚えていない。

 その日の深夜に父は亡くなった。

 そこから心の地獄が始まりまった。

 毎晩か毎朝、泣いて起きます。「ごめんなさい。ごめんなさい。」と泣いて起きます。

 理由は、私が父の面倒を見なかったから、父は死んだ。と言う想いから、そうなりました。

 でもいくら謝っても父は帰らないし、私が父の死ぬのを望んでいたことは、心の奥底では確かなこと。たぶん・・・

 その心の闇が一気に噴出したのか、隠したのか、良くわからないが、凄まじかった。

 普通なら、心の葛藤に耐え切れずに死を選んでいたと思います。ですが、私の場合は、小学校3年生ぐらいかに死を意識したこと(工事現場で遊んでいて、転んで、足に大怪我をし、血が大量に出て、泣きながら家に帰るも誰もおらず、自宅でどうもこうも自分ひとりでは何もできない状態で時間が過ぎていた。その時に家の前のお姉さんが私の鳴き声に気づき助けてくれました。たぶん、お姉さんの顔を見て安心して気を失ったと思います)があり、死が怖いものと言う意識が植え付いていたのと血そのものの恐怖が強く、選択肢に入らなかったのでした。

つづくココナラ出品用ウーピーまちゅプロフィールAC編2