ココナラ出品用ウーピーまちゅプロフィールAC編に引き続き書きます。

私の子どもの頃のことです。

私は、誰とも話をしない子でした。話したのは猫だけです。なので、猫語を話せます。本当です。

父と母は共依存の関係でした。父はアルコールに依存し、母は宗教に依存。その環境で私と妹は生きてきました。

生きてこれた理由はとても簡単で日本と言う環境と教育制度が整っていたからです。
他の国だったら、ストリートチルドレンになっているか、マリファナなどのドラッグ依存の環境にどっぷりつかるような状態です。もしくは、生きていない。

父も母も家族を作ることを失敗した。それは、世代を超えて、父の家族も母の家族も失敗したとも言えます。

父は私を愛していました。私も父を愛していました。もちろん、母との関係も同じでしたが、父は自分が生きるか死ぬかと言う環境に追い詰められていたため、私をサポートできなかった。父としてのお役目を果たすことができずに亡くなってしまいました。

私は、家族からは声をかけられませんでした。と言うことで、話す必要が無い環境。だから言葉も話すのが遅かったようです。ただ、小学1年生のときの算数のテストで100点とかいつも取っていたから聞き取りはできたのかな?とは思います。また、小学校はマンモス校で1学年200人ぐらいいて、マラソン大会では4位でした。でしたが、小学校1年生の間に話をし始めたのは3学期からのようです。なぜわかるかと言うと通知簿に書いてあるから・・・

小学校は6年間、ずる休み(6年生のときに夏休みの宿題ができておらず、休んだ2日)以外は皆勤です。理由は簡単。学校に行けば給食を食べることができるから・・・

家の中はとても悲惨でしたが、子どものときは自分の家の環境しか知らないため、何も不満も葛藤も起きなかったようです。悲惨だとわかったのは、小学校5、6年生になって、ソフトボールチームの補欠要員で誘われるまま皆の家に行くようになってからわかったことでした。

悲惨1:家には心の安らぐ場所は無し
 父は酒を飲んでは喚く(酒を買って来い)か、寝ている状態。

悲惨2:話をする相手は猫だけ
 人間と話をしたことがないから、猫を拾ってきて飼っていたというか、一緒の猫飯を食べていたと言うか・・・ なので、猫語を話せます。猫に声をかけることができます。それなりの言葉でね。

悲惨3:ガラスが割れても3ヶ月~半年は割れたまま
 酒買って来いって言うときに物が飛びます。そしたら、ガラスにあたり割れます。で、生活保護でギリギリの生活なのでお金は酒に消えていくのです。

悲惨4:借金の片に家をだまされて取られました

悲惨5:数ヶ月に1度、父の親戚から貢物が届いていた
 小さいときは変なこととは思っていませんでした。叔父さん叔母さんからダンボールが届くんです。中には米やら野菜やら、そして封筒に入ったお金などが入っていました。これってチョー情けなくて恥ずかしいことであると今はわかります。

・・・

自慢話っぽくなってきました。辞めます。

で、小学校の低学年のときの記憶がまったく無いのです。

これは意識的に消し去っているのかもしれません。奥の奥に深い闇があるとスピリチュアルの高い方に言われます。私もあるのを知っています。

心の闇を紐解くには、心の闇のカギが必要です。生半可な奴に私の闇は紐解いて欲しくありません。
逆に言えば、私だから、私と同等の闇を持っている方の力にはなれます。

たぶん、3回は死のうとしている。でも死んでいない。

生きるって決めたし。生きるって決めたらすごく楽になったし。

死のうって決めている間は苦しいですよ。

私を活用してくださる方、ご連絡ください。

一般社団法人 日本お助け隊のお節介隊員no.558 桝田良一(ウーピーまちゅ)

つづく